祖母の肖像

おぼろげな、陽だまりのような記憶は誰でも持っている。

温かくて、でも鮮明には思い出すことができない記憶。

人に話すには脈絡もストーリーもない。だから、この話を人にしたことはない。

ただ、自分の心の中にそっと取ってある。


実のところ、極めて私的な物語を書くことに抵抗があった。

私的な話とは、私の祖母の話である。


祖母は私が高校1年生のときに死んだ。長い間、闘病生活を送っていて、死ぬ3年くらい前からは入退院を繰り返していた。そのたびに、付き添いとして、私の母親を奪っていく祖母が嫌いだった。

祖父の家に預けられていた私は、夜、寂しくなると、母が買ってくれた『カーペンターズ』のベスト盤を聴いていた。

1曲目が『イエスタデイ・ワンスモア』で、今でもこの曲を聴くと、あの高校生の頃の夜を思い出す。


とにかく、私は長らく祖母にいい印象を抱いていなかった。


入院している祖母に久しぶりに会ったとき、二人きりだった。

母は何か買い物に行っていて、病室には祖母と私だけだった。

突然、祖母が『メロンパンが食べたい』と言った。

特別にメロンパンが好きだった記憶はなくて、

どうしてメロンパンだったかは知る由がない。

その頃、菌が脳内に入り込んでいたらしいから、意識が混濁していて、深い意味はなかったのかもしれない。

私はどうしたらいいかわからなくて、『お母さんが帰ってきたらね』と言った。

すると、『ここの人たちは意地悪をするから、気をつけなさい』と忠告した。

私はそれが戯言だと気づいていたけれど、神妙に頷いた。

祖母と会話した記憶があるのはそこまでだ。


次の記憶では祖母は棺桶の中で眠っている。

病院のベッドにいる祖母との記憶しかなかった。


最近になって、元気だった頃の祖母の横顔を思い出した。

まだ祖母が家にいて、私と留守番をしてくれていたころのことだ。

夕方、仕事が終わる母を迎えに行ったときのことだと思う。近所のおばあさんと会って、祖母が話し込んでしまった。

道端で話し込む祖母の顔は夕日に照らされて、まぶしいのか少し皺が寄っていた。

手持無沙汰な私は、祖母の横顔を見ていた。

余所行きの顔で笑う顔は記憶の中よりもふっくらとしていた。

人と別れた後、さっきの会話の内容をぶつぶつと反省していた。


それは母の癖で、私の癖になった。


ようやくあの陽だまりのような祖母の笑顔を思い出した。

けれど、祖母との物語は終わっていて、続きはない。


あれから10年が経って、母があの頃の祖母の年齢へと近づいてきた。

そこに祖母の面影を見つけたのかもしれない。

あるいは、子供っぽい独占欲をようやく手放せたのかもしれない。


理由はわからないけれど、今、祖母は記憶の中で笑っている。


考える猫

アイドル好きで、活字中毒な猫(25)が、主に哲学的・社会科学的にどうでもいいことを考える。

0コメント

  • 1000 / 1000