少し前の話になるが、NHK番組『いのちのうた2017』を見た。そこで、加藤シゲアキのソロ曲『あやめ』を視聴することになった。
作詞作曲・加藤シゲアキの文字に、彼が作詞だけででなく、作曲まで手掛けていることに驚いた。同時に、この曲の歌詞・世界観・演出に惹かれた。
ジャニーズの一般的な楽曲とはかけ離れた世界観、彼が発表する小説のような言葉のセンスが光り、含蓄のある作詞には彼の作家としての意地を見た。
茶の間ファンとも言えないくらいのファンの私にとって、彼の仕事で一番印書に残っているのは、明星で連載していたエッセーだ。高校生の当時、毎月明星を買っていたが、彼のエッセーを密かに楽しみにしていた。写真と共に掲載されるインタビュー記事は、あまり読む方ではなかったが、彼のエッセーだけは熟読していた。陰鬱な高校生だった私が共感できる文章を書く、アイドルとしては不思議な人だと感じていた。
彼のエッセーは他のアイドルとは一線を画していた。それは彼の文章力や豊富な語彙という点においてのみでなく、後ろ向きな感情が語られることがあったからだ。そんな彼の文章に共感をして、そして救われていた。キャラクターや評判を確立しつつある最近の彼を見て、そんな思いでは忘れていたが、この『あやめ』を視聴して、なぜか思い出した。
■女神アイリス
『あやめ』の歌詞を1回で理解することができなかった私は、google先生に頼り、歌詞の解読を試みた。そして、『あやめ』の英名はIrisであり、女神『アイリス』をモチーフにしている、と知った。
また、アイリスは虹の神であり、曲の終盤で、虹色の旗(レインボーフラッグ)を掲げていることから、LGBTの社会運動を想起した。レインボーフラッグはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー (LGBT) の尊厳とLGBTの社会運動を象徴する旗だ。もしかしたら、もう少し広い意味での『多様性』を訴えているのかもしれないが。
いずれにしても、LGBTへの理解が薄く、レインボーフラッグの活動があまり見られない日本において、堂々と歌で表現する姿が素晴らしい。賛否両論があることをわかった上で、社会問題を提起する彼の姿は独自の道を切り開くアイドルの真骨頂だ。(余談だが、最近のジャニーズアイドルはこうしたLGBTもしくは『ホモ』等と呼ばれるものを、無暗に笑いに変えないことに好感が持てる)
また、旗を翻して進む姿、その下でもがく男たち(ダンサーたち)は、ドラクロワが描いた『民衆を導く自由の女神』の姿そのものである。フランス革命を描いたこの絵画における女神が、フランスや自由の象徴であったのなら、この女神は何の象徴であるのか。
表象だけを追うのならば、虚空へと手を伸ばすダンサーたちは、乗り越えていくべき屍なのか、もしくはともに闘う同胞であるのか。
全てに意味があるわけではないのだろうが、全てに意味がないわけでもない。どこまでが演出なのか。それを想像させることすらも、彼の術中にはまっている気がしてしまう。
■謎かけ
全体を通して、謎かけが多い歌詞であり、その謎は、結局のところ解けていないものが多い。
『僕』という一人称は果たして誰なのだろうか?それは、人間としてこの世界に存在する『僕』ではなく、もっと抽象的で、概念的な『僕』という主体らしい。
また、一人称の『僕』が抽象的なものであるせいで、全体のストーリーが追いにくい。『僕』が抽象的なものであるならば、二人称の『あなた』が誰であるのか。『彼方』は『かなた』とも『あなた』とも読めるわけで、どちらで読ませたいのか。
『空想 夢想』の『彼方』と言っているわけで、あなたも存在するわけではない『空想』や『夢想』なのか。『空想』や『夢想』の向こうにある、という意味での『かなた』なのか。『決して』は、決して~ないの、どんなことがあってもない、という意味なのか、必ず、きっとという意味なのか。
彼からのヒントをすべて追えているわけではないが、以上がこの曲を難解にしている、と感じる。
■あやめに見る作家性
①ストーリー性
前半では、『時のまにまに』と、自分自身の意思というよりも、流れに身を任せている。
途中からは、『そんなものいらねえや』と言い、力強く駆け出す。
そして、自由の女神となり、旗を揚げる。
一場面で展開されるだけでなく、そこにストーリーを盛り込んでくるところが作家らしい。
②言葉遊び
あやめが『菖蒲』であり、『殺める』だったりとかけてきたり、『荒野』と『歩こうや』だったりと言葉遊びが随所に取り入れられている。
キャッチーなメロディと、それに合わせた歌詞が多い世の中で、しかも文字表記は通常されないにも拘わらず、こうした言葉遊びを取り入れてくるところが作家らしい。
ソロ曲だからできた表現かもしれないが、言葉を大事にするところに彼の作家としての一面を見る。
■加藤シゲアキについて
踊りで、無造作に乱れた髪。あぐらで、何かを思い悩むような座り姿は、かつてこの国に存在した作家を彷彿とさせた。
もしかしたら文豪というよりも、書生といえる雰囲気かもしれない。夏目漱石の時代の書生と言えるような雰囲気。文豪と呼ばれる人物ほど悟りを開いているわけではないが、庶民よりも物事を深く考えてしまう。それ故に苦悩する、人間くさい姿。
陰と陽でいえば、『陰』である作家と『陽』であるアイドルを、同じ曲で、表現してしまうパフォーマンスに、彼の凄みを見る。またこうした『加藤シゲアキ』を表現した曲を見たい。
0コメント